2014年



ーー−2/4−ーー 介山荘にて


 
二十台半ばの頃、会社の寮の友人と二人で、大菩薩嶺を登りに行った。二月の事である。その夜は、峠に建つ介山荘という名の山小屋に泊まった。泊りは自炊で申し込んでいた。自分たちで料理を作り、豪勢に山上の酒宴を楽しむというのが、この登山の真の目的であった。

 ガスコンロと調理器具を準備し、焼肉をやろうと計画した。JR(当時は国鉄)塩山駅で列車を降り、近くのスーパーへ入って肉や野菜を購入した。もちろん酒も手に入れた。空腹だったので、やたら食材を買った。冷静に考えれば、一晩でそれほど食べられるわけが無いというくらい、大量に買い込んだ。

 夕刻になって山小屋に到着した。大菩薩嶺を目指した登山の方は、どうだったか、覚えていない。ともかく宿泊の手続きをして、大部屋の隅に陣取った。他に一人だけ、二十歳前後の男性がいた。さっそくザックを開け、酒宴の準備に取り掛かった。

 ほどなくコンロの上で、焼肉がジュージューと心地良い音を立て始めた。小屋に備えてあったコップを拝借し、酒をなみなみと注いで乾杯をした。それからひとしきり、ガツガツたべて、グイグイ飲んだ。しかし意外にあっけなく腹が一杯になり、箸が進まなくなった。大量の食材が、手つかずのまま残された。

 思いがけず短時間の内に、夢に見た豪勢な酒宴のゴールが見えてきて、なんとなく白けた雰囲気になった。まだ酒も食糧も沢山余っている。そこで、もう一人の宿泊者である若者に声を掛けた。こっちへ来て、一緒に食べないかと。

 若者は未成年かも知れなかったが、酒を薦めると断らなかった。けっこうハイピッチで飲んで、真っ赤な顔になった。そのうちに、酩酊状態に陥ったようで、フラフラしてきた。そして、立ちあがった瞬間、手にしたガラスのコップを床に落とした。ガチャンという音が室内に響いて、我々二人も緊張した。

 その瞬間、二階に繋がる階段の上から「だいじょうぶですか! 怪我はありませんか?」という声がした。小屋の主の声だった。そして顔を出して、危ないからそのまま待ってくれと言い、電気掃除機を手に降りてきて、手際良く割れた破片を片付けた。片付け終わると、「これでもう大丈夫ですね」と言って、また二階に引き上げた。多少の小言を覚悟した私たちは、ちょっと気が抜けたくらい、あっけない幕切れだった。

 小屋の主人が現れなければ、自分たちで片付けただろう。酔っていたから手元が狂い、ガラスの破片でけがをしたかも知れない。小屋の主人は、階下で始まった宴会の様子が気になり、耳を凝らしていたのかとも思う。それほど迅速な対応だった。それにしても、普通だったら、「おやおや、何をやってるんですか、あなた方は。困りますねぇ」などと言いそうなものだ。しかし、実際に発せられたのは、宿泊客の安全を第一に考えた言葉だった。その言葉は、今思い出しても胸に来るものがある。




ーーー2/11−−− 金言


 まだ子供だった頃、ふと目にしたテレビに、京都の有名なお寺の住職が出演していた。「心の時間」というような番組で、ゲストとアナウンサーがやり取りをする形だった。どうして子供がそのような番組を見ていたのか、今から考えれば不思議である。

 住職は、そのお寺の最高位にあって、その世界の重鎮とされる人物であった。しかし、そのような人でも、修行の道に入った当時、まだ若い弟子だった頃は、いろいろな迷いがあったそうである。対談はそんな話から始まった。

 修業を始めて数年経った頃、自分にはこの道が無理なように思われて、悩んだそうである。いっそのこと諦めようかと、深刻に考えたこともあったとか。そんな弟子の様子を見て、上の人たちは心配もしただろうが、本人の気持ちは迷い続けた。

 そんなある日、修行をしていたお寺で、偉いお坊様から手伝いを頼まれた。寺に保管されている宝物や書類を、蔵から出して広間に運び、異常がないか点検をし、しばし後にまた蔵へ戻すと言う作業である。

 呼ばれた広間には、国宝級の宝物、陶磁器や巻物などが並んでいた。お坊様は弟子に、ある品物を蔵へ持って行くように命じた。弟子はギョッとした。その品物は、一つの壺であったが、非常に貴重な品物で、最高級に重要な物であった。何故そのように重要な品物を、自分のような若造に扱わせるのか分からない。ただお坊様は、「とても大事なものだから、注意をして運ぶように」と言った。

 弟子は壺を手にして立ち上がったが、極度に緊張をして、体がガチガチに固まった。なんとか広間から出て、廊下へ進んだが、しばらく行った所で手が滑り、壺を床に落としてしまった。国宝級の壺は、ガチャンという大きな音を立てて、あえなく割れてしまった。

 弟子は顔から血の気が引いた。とんでもない事をやってしまった。国の宝とも言うべき品物を、壊してしまったのだ。次の瞬間、広間の障子の向こうから、「おい、お前」と呼び掛けるお坊様の声が聞えた。弟子は「ばれてしまった、もうダメだ。お金で弁償できるものではない。こうなったら、命を捨ててお詫びをしなければならない」と、悲愴な覚悟を持った。しかし、続いて聞えたお坊様の言葉は、「大丈夫か、怪我は無いか?」であった。

 お坊様は、宝物の破損より、弟子の体を案じたのである。その言葉を聞いて、弟子は激しく胸を打たれた。その出来事を契機に、弟子の迷いは吹っ切れた。その後修行を重ね、精進を続けた結果、いつのまにか現在の地位まで辿り着いたと言う。

 人生の流れを変えた、その決定的な出来事を、ご本人は「金言一直、回天の志あり」と述べた。一つの尊い言葉には、物事をひっくり返す力が有ると。

 なんだか先週の話題と似たような話である。ひょっとして、大菩薩峠の山小屋の主人は、若い頃、同じ番組を見ていたのだろうか?




ーーー2/18−−− 五輪の女神の気まぐれ


 12日が明けた深夜、ソチ・オリンピックのノルディック・スキー女子ジャンプの中継があった。私は、観ようかどうか迷ったが、あまりにも遅い時間なので、諦めて寝ることにした。

 明け方、夢を見た。優勝候補筆頭の高梨沙羅さんが、予想外の不調で三位にも入れず、泣きながら記者のインタビューを受けていた。私は、はっと目が覚めて、不吉な夢を見たものだと思った。

 いつもより早く起きて、7時のニュースを見た。トップが、スノーボードの男子ハーフパイプで、日本人の若者二人が銀と銅のメダルを取ったとのニュースだった。嫌な胸騒ぎがした。しばらくの後に、沙羅さんが4位に留まったとのコメントが、手短に流れた。

 私は、愕然とした。まさかの出来事である。試合前の予想では、専門家筋から、99パーセント金メダル間違いなしとの予想も出ていた。沙羅さんのこれまでの成績を見れば、その予想も当然と思われた。昨期、今期の2シーズン連続で、ワールドカップのチャンピオンになった。いずれも14試合中9回、13試合中10回(現時点)優勝するという、圧倒的な強さである。二位、三位も含めれば、表彰台に立たなかった事は無い。まるで、彼女のためにワールドカップが行われているかのような状況だった。

 私は自分が見た不吉な夢が、沙羅さんの不調と重なってしまった事に、戸惑いを感じた。思い通りにならない事とは言え、何故そんな夢を見たのかと、暗澹たる気持ちになった。嫌な夢が、正夢になった形である。

 しかし現実には、私の夢とは違う部分が、一つだけあった。試合直後は、さすがに涙を拭っていた沙羅さんだが、インタビューでは、涙を見せなかった。そして、この結果を自らの未熟さととらえ、今後一層の努力を重ねて、次の機会に望みたいと言った。心中を想像すれば、たいへんな混乱と絶望感に占められていても当然だ。それをグッとこらえ、感情の乱れを見せずに、淡々と受け応えをしていた。そのけなげな態度が、胸を打った。

 もと五輪メダリストの解説者が、「沙羅さんは、自分では一切言い訳をしないだろうから、代わりに私が話しましょう」と言って、解説をした。沙羅さんの直前の選手は向かい風で、沙羅さんの番になって追い風になった。追い風は飛距離が出ず、不利である。そのため、点数が加算されるルールになっている。しかし、そのルールでは相殺されない難しさがある。滑り出した選手には、風の変化が分からない。飛んでいる最中に、理由が分からずに距離が延びないと、不安が沸き起こる。飛行中の心理的動揺は、大きなマイナス要因となる。例えば、少しでも飛距離を伸ばそうとして、着地の時に無理な姿勢となり、大幅に減点されたりする、と。

 そのような風の影響は、自然条件の中での競技とはいえ、全くアンラッキーな事だと思う。観る側としては、気の毒だったと、同情するしかない。しかしその結果を沙羅さんは、自らの未熟と言い切った。

 それにしても、オリンピックの勝利の女神は、何故こうも気まぐれで、意地悪な悪戯をやるのだろうか。




ーーー2/25ーーー ソバ作りプロジェクト


 この地域の仲間で、蕎麦の収穫をした話は、以前このコーナーで紹介した(2012年11月)。その後、その蕎麦粉を使って、自分たちで蕎麦を作るようになった。昨年の秋も蕎麦を収穫し、年末から最近にかけて、蕎麦パーティーを3回ほど重ねた。収穫から蕎麦打ちまでのソバ作りプロジェクトを、今回は画像入りで紹介しよう。

まず、収穫作業。今回は倒伏している株が多く、機械と手刈りの二本立てで行った。




脱穀をする。近所の農家から頂いた中古の脱穀機を使う。
この時期天気が悪く、収穫した蕎麦の穂が湿っていたので、作業は難航した。







脱穀した実を、いったん干す。




一週間の後、唐箕という道具を使って、実を茎などのゴミから選別する。




手回しの送風機で風を起こして、軽いゴミを飛ばし、実だけ脇から出てくる仕組み。




取れた実を、再び干す




実はサラサラとして美しく、手触りが気持ち良い。
地面から生えていた植物の状態からは、想像が出来ない収穫である。




干し上がった実を、製粉所で粉にし、その蕎麦粉を使って蕎麦を作る。
集会所の台所にメンバーが集まり、作業をする。




次第に慣れて、手際が良くなってきた。




出来上がった蕎麦。

素人ながら、なかなかの出来である。味も良い。


収穫から蕎麦打ちまで、一貫して自分たちの手で行なった。昔は各家庭でこういう事を行ったようだが、現在ではここまで手間をかける人は少ないようだ。ともあれ、私のような都会育ちの者にとっては、得難い体験であった。





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